高坂正堯と戦後日本(草稿)
■引きこもってました。
なかなか書けずに、映画ばっかり見てました。ダメだ・・・・・・。
今さらながら、「読む」のと「書く」のは大違いということを強く実感しました。
高坂先生の論考は読むたびに新鮮な驚きと示唆、考えるきっかけを与えてくれるのですが、さぁそれを何らかのかたちでまとめて形をつくりあげようとなると、どうしようもなくなってしまうのです。
なにか全て中途半端なものになってしまったような・・・・・・。
■思うに、僕はいつも矛盾した感情に襲われます。
というのも、「高坂正堯と戦後日本」というテーマは修士論文だからこそ選べたのです。仮に博士課程にいくつもりがあるのであれば、博士で扱うテーマを発展的に見据えて修士のテーマも考えなくてはなりません。博士論文ではつながりえないが故に、修士論文の対象として「高坂正堯と戦後日本」をすえたのです。
しかしながら、二十そこそこの院生が果たしてどこまで高坂正堯先生の論考を読み込めるものでしょうか。様々な解説で述べられていることですが、高坂先生の文章は難解な専門用語(ジャーゴン)とは無縁であり、極めて平明で流れるような文章です。しかしその背後には、膨大な歴史知識と確固たる古典知識が控えており、僕も含めて多くの人々はそれに気づかずに通りすぎてしまう・・・・・・。海中に隠れている巨大な氷山の存在を見ていない。見ることができない。
修士論文だから選択できたテーマであるが、しかし、修士論文では到底十分に扱いきれないテーマを、どう考えればいいのでしょうか。
■ともあれ、残り一週間は推敲をします。
あんまりひどい出来なので、あまり見たくはないのですが、すくなくとも最低限の体裁はきちんと整えなければいけませんしね。
頑張ります。あたい、やっぱり高坂先生が大好きやから・・・・・・。
※ちなみに、今日、中公クラシックスから出ている『海洋国家日本の構想』を立ち読みしました。中西寛先生が長めの解説を書いていました。修士論文で書いていることと同じ部分もかなり多かったです。光栄でしたが、ショックも受けました(笑)。
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